【第1回】逆から考える介護「自分の時間は邪魔されたくない」
逆から考える介護現場の連続コラム
目に見えない境界
みなさんは「パーソナルスペース」という言葉をご存知でしょうか? 私たちの周りには、目に見えない「心」の境界があり、そう呼ばれています。
パーソナルスペース(英: personal-space)とは、他人に近付かれると不快に感じる空間のことで、パーソナルエリア、個体距離、対人距離とも呼ばれる。一般に女性よりも男性の方がこの空間は広いとされているが、社会文化や民族、個人の性格やその相手によっても差がある。一般に、親密な相手ほどパーソナルスペースは狭く(ある程度近付いても不快さを感じない)、逆に敵視している相手に対しては広い。
https://ja.wikipedia.org/wiki/パーソナルスペース
この領域に他者が侵入しようとすると、強い情動反応が引き起こされることから、人は社会生活を円滑に営むために適切な対人距離を保つ必要があると考えられています。
もし、街中で知らない人が急に目の前に来たら、嫌な感じになりますよね。それが家族や恋人、友人などの知っている人であったらどうでしょうか? 嫌な気持ちではなく、嬉しい気持ちになるのではないでしょうか。このように、パーソナルスペースは相手によって、「伸び縮み」するようです。
さまざまな「距離」
さらに細かく見ていきましょう。Hall(1966)は、対人距離を以下の4つに分類しています。
- 密接距離(45cm以下)
- 個体距離(45~120cm)
- 社会距離(120~360cm)
- 公衆距離(360cm以上)
「密接距離」とは、恋人同士や親子間で観察されるような身体接触が可能な距離であり、非言語的コミュニケーションが重要となります。「個体距離」は親しい友人同士や知人とのやりとりに用いられ、相手の表情を細かく見分けることができます。コミュニケーション手段は主に言語ですが、身体的接触も可能です。「社会距離」は仕事上の付き合い等で用いられる距離です。身体的接触が不可能であり、会話はある程度の音量が必要となります。「公衆距離」は、講演会における講演者と聴衆との距離であり、個人的な関係は成立しません。このようにパーソナルスペースは、相手との関係や状況に応じて大きく変化することが知られています。次に、介護施設内のパーソナルスペースについて考えてみましょう。
介護現場のパーソナルスペース
想像してください。「あなたが介護をされる立場」になったとき、このパーソナルスペースはどのように感じるでしょうか? 知らない場所に来て、知らない人が目の前に来て、体を触られたら、どう感じますか?
「そんなことを考えていた介護なんてできない!」とお叱りを受けるかもしれません。でも、自分が介護される立場になったら、どうでしょうか?
介護スタッフと入居者の間には「距離」のズレが生じる可能性が高いといえそうです。例えば、早く新しい環境に慣れてほしいと願う介護スタッフと、新しく入居される方は「距離」は大きく異なる可能性があります。特に認知機能が低下された方や、入居自体に対して理解や納得が十分でない方などは顕著でしょう。一般的な引越でも新しい環境に慣れるまでには大きなストレスを感じた経験がある方は多いと思います。
介護をする以上、「密接距離」になる必要がありますが、最初のご挨拶、インテーク、アセスメントといった段階で、少しずつ、パーソナルスペースを縮めていくための信頼関係構築(ラポール)が大切になるのではないでしょうか。
また、互いに親しい友人だと思っていた入居者のAさんとBさんのうち、Aさんの認知機能が低下していった場合はどうでしょうか。認知機能低下がないBさんはこれまで通り「個体距離」での会話に違和感がありません。しかし認知機能が低下したAさんは、相手のことが分からなくなり、「個体距離」に違和感があり、「社会距離」を保とうとします。
このようなとき、Aさんは「知らない人が近くに来て、話しかけて嫌だな」と思い、Bさんは「嫌われたのかな」と思ってしまうかもしれません。特に、介護施設という限られた空間であれば、「社会距離」や「公共距離」を保つのが難しく、常にストレスを感じる空間になる可能性が高いと考えられます。
24時間、共同生活
このように、「社会距離」や「公共距離」が保ちづらい介護施設内において、入居者である「あなた」が周囲と「距離」を保つことができる大切な時間はいつでしょうか? それは、居室内で「独り」でいるときかもしれませんね。だからこそ、居室内に「他人」である介護スタッフが入るときには細心の注意が必要ではないでしょうか。
想像してみてください。あなたが一人で暮らすアパートに、いきなり友人が入ってきたら、どう感じるでしょうか。いくら顔見知りであっても、勘弁してほしいと思いませんか? 入ってくるときは「チャイム」を鳴らしてほしいし、できれば前もって来る時間を教えておいてほしいですよね。
振り返って、介護施設ではどうでしょうか。ノックをしながら、入居者の反応を感じる前にドアを開けていないでしょうか。ルールになっているからという理由で何度も居室に訪問していないでしょうか?
24時間、共同生活をする介護施設において、どのような工夫やルールを設定をすることで、入居者のパーソナルスペースを守ることができるのかは重要な課題ではないでしょうか。
パーソナルスペースと見守りの同時実現
しかし、ナースコールが鳴らなければ、何もしなくて良いという訳ではないですよね。
- ベッドからずり落ちてしまい、床で寝ていないか
- トイレの中で気分が悪くなっていないか
- 転倒して、けがをしていないか
など、すぐに対応しなければならないにも関わらず、居室内を肉眼で、直接的に見ることが難しいが故に、手遅れになってしまう危険性もあります。
その1つの解決策として、「見守り介護ロボット」があります。ベッド周りの転倒事故が多いことが知られています。トイレに急ぐことや、暗がりに目が慣れないこと、起立性低血圧などさまざまな原因があるといわれています。転倒の危険性が高い入居者であれば、起きあがろうとする動作を検知して、すぐに介助に入る必要があるかもしれません。転倒の危険性が低い人であれば、遠隔で見守りを行い、おぼつかない足取りだとわかれば、かけつけるという対応で十分かもしれません。このように、転倒につながる動作を検知したとしても、入居者の特性に応じた対応を行い、ひとりだけの時間と空間(パーソナルスペース)を確保しながら、同時に見守りを行うことが必要ではないでしょうか。「必要な支援を、必要な人に」という自立支援の考え方を実現するために、見守り介護ロボットは重要な役割を果たすと考えています。
参考文献
野瀬ら.パーソナルスペースへの侵入に対する心理・生理的反応.文京学院大学研究紀要Vol.7、No.1、pp.263-273.2005
https://www.u-bunkyo.ac.jp/center/library/image/kyukiyo7_nose.pdf
著者:小林宏気
1974年神戸市生まれ。博士(保健医療学)+3修士(工学・経営情報学・保健医療学)。姫路工業大学大学院、多摩大学大学院、国際医療福祉大学大学院修了。京都芸術大学大学院学際デザイン研究領域在学中。オットボックジャパン㈱、川村義肢㈱、㈱オーテックジャパン、(学)帝京大学、(社福)善光会・サンタフェ総合研究所等を経て、現在、千葉大学・特任准教授、東京未来大学福祉保育専門学校・非常勤講師、公益財団法人テクノエイド協会福祉用具プランナー管理指導者養成講師、ICT介護教育研究会・世話人、一般社団法人ワイズ住環境研究所・理事、主体的学び研究所・フェロー、株式会社シード・プランニング・顧問等。